2016年 01月 03日
さあ、世界史を語ろう。第2回、亀甲文字。 |
言葉を文字で表すというのは、大胆な発想の飛躍であろう。しかし、文字という形にして表すといっても、その文字を書き記す媒体がなければ、文字は文字になり得ない。とすれば、言葉を文字にという形にして表すという大胆な発想が生まれた時、そこには、文字を形にして残すことのできる媒体が存在していなければならない。
そのことを殷墟について考えてみると,媒体とは亀の甲羅であったのであろう。甲骨文字の出土から、それは実証されているとみるべきであろう。
しかし,亀の甲羅が文字を形にして残すための媒体となるのであれば,それは大量に供給されることを前提とされるものであろう。ということは、殷墟の存在した場所は、亀が大量に生育していた場所であったということになるのであろうか。
しかし、いくら大量に生育していたといっても、文字の媒体として大量に消費していれば、そのうち亀は絶滅を免れないであろう。もしかしたら、亀の絶滅が殷王朝の衰退へとつながっていったとも解せるが,もとより推測でしかない。
あるいは、文字を表すということは、亀甲資源の制約から,限られた支配層にしか許されなかった特権であったかもしれない。
そのことを殷墟について考えてみると,媒体とは亀の甲羅であったのであろう。甲骨文字の出土から、それは実証されているとみるべきであろう。
しかし,亀の甲羅が文字を形にして残すための媒体となるのであれば,それは大量に供給されることを前提とされるものであろう。ということは、殷墟の存在した場所は、亀が大量に生育していた場所であったということになるのであろうか。
しかし、いくら大量に生育していたといっても、文字の媒体として大量に消費していれば、そのうち亀は絶滅を免れないであろう。もしかしたら、亀の絶滅が殷王朝の衰退へとつながっていったとも解せるが,もとより推測でしかない。
あるいは、文字を表すということは、亀甲資源の制約から,限られた支配層にしか許されなかった特権であったかもしれない。
by milionpara39
| 2016-01-03 10:57
| 歴史分析
|
Comments(0)