2016年 05月 03日
さあ、世界史を語ろう。第89回 中華民族の大失政。 |
匈奴は匈奴のままで終わり、突厥は突厥のままで終わった。しかし、契丹は契丹のままでは終わらず遼という国となった。これは、遊牧民族の側における大きな意識変革があったとも解せるが、漢民族の側においても大きな意味を持つ。
それまでの漢民族の遊牧民対策といえば、軍事的な衝突を繰り返すことが大部分であったろう。ところが、ここに遼という国家が成立したことにより、外交的に交渉する相手ができたということになる。しかし、中華民族といえば、中華意識に支配されている民族である。原則的に対等な立場を要求される外交交渉が、そのような意識をもって有利に運ぶはずもない。
当然のごとく、その交渉は稚拙にならざるをえず、節度使石敬塘は自己の弱体な軍事力を補強するため、遼に軍事援助を求めるが、その代償として燕州、雲州等十六州を割譲したうえ、毎年、銀や絹を貢ことまで約束してしまう。それによって、石敬塘は後晋王朝を樹てることになるが、敵国、遼を自ら中国本土に引き入れてしまうという大失政を犯してしまうことになる。まさに、外交交渉に未熟であった末の結果であるといえよう。
それまでの漢民族の遊牧民対策といえば、軍事的な衝突を繰り返すことが大部分であったろう。ところが、ここに遼という国家が成立したことにより、外交的に交渉する相手ができたということになる。しかし、中華民族といえば、中華意識に支配されている民族である。原則的に対等な立場を要求される外交交渉が、そのような意識をもって有利に運ぶはずもない。
当然のごとく、その交渉は稚拙にならざるをえず、節度使石敬塘は自己の弱体な軍事力を補強するため、遼に軍事援助を求めるが、その代償として燕州、雲州等十六州を割譲したうえ、毎年、銀や絹を貢ことまで約束してしまう。それによって、石敬塘は後晋王朝を樹てることになるが、敵国、遼を自ら中国本土に引き入れてしまうという大失政を犯してしまうことになる。まさに、外交交渉に未熟であった末の結果であるといえよう。
by milionpara39
| 2016-05-03 14:52
| 歴史分析
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