2021年 07月 06日
石坂浩二さん、会いたかった。その1。 |
2020年9月26日。水前寺清子の人生は365歩のマーチ 最終回より。
水は水前寺さん、石は石坂浩二さん、中は中田有希さん。
水「さて、改めまして、今日のゲストでございます。会いたかったなぁ、石坂浩二さんです。よろしくお願いします。
中「ようこそいらしゃいました、よろしくお願いします。」
水「この日が来ました、本当に昨日みたい、ご一緒していたんですけど、今日勘定してびっくりしたんですけど、だいぶたってますよね。30年ですか。」
石「50年、51年ぐらいになるんですか」
水「そんなに年取っちゃったの、二人とも」
石「だってカラーになって2年目ぐらいじゃないですか、ほとんど民放は」
水「あの時、あまりしゃべってなかったですよね」
石「そうでもないんですよ」
水「あ、そうですか。」
石「あのね、全部で3回やったじゃないですか。ねえ、本当に1年間で---,1本目の時はいっしょのシーンがそんなになかったですよ」
水「出会いはね、覚えてるよ、あとでいうから」
中「出会いを覚えているんですか?」
水「覚えてるよ!」
石「最初、白黒の頃ですよね」
水「カラーじゃない? もう 」
石「カラーじゃないよ、あれ。白黒ですよ」
水「私はありがとうから王子様にお会いしたわけですが、その前のことはまったくわからない----、他のことは聞いたことがないので今日は楽しみにしております。よろしくお願いします。」
中「水前寺さん、幼少期のお写真をお借りしているんです。」(石坂浩二の写真が出る。) 石坂さんは1941年、東京にお生まれになりました。」
石「当時、写真館でとるなんて、うちカメラなんか一切なかった。それでこの年、これ1歳ですから、もう戦争は始まってます。生まれた時はまだ始まってなかったんですけどね、この時----」
水「私はちょうど終戦後----」
石「10月でしたね」
水「よく知ってるね」
石「だから、8月に終わってから2カ月後----」
水「私よりうんと年とってたから----」
石「70過ぎたらおんなじだよ」
水「まだ50で通っている.----」
石「ええ! 通っているの?」
水「通っているわけないじゃないの。」
中「子供時代はどんなお子さんだったんですか?」
石「いろんな意味で生意気というか----、うち焼け残ったんですよね。だから、親父とかおばさんとか、そういう人が残してくれた本があって----、本屋さんがないから、読むものが何もないから----、本をよく読む子供でした。」
中「お芝居は小さい頃から興味があったんですか?」
石「うちに祖母がいて----、うちは元々銀座で、それで、お墓が浅草だったんです。それでまあ、婆さんとしてはお墓参りに行くというついでに芝居見たり、映画見たりしていたんです。それに私を引っ張っいってくれて、たぶん榎本健一さんとかそういう人がお出になっているような----、わぁーというような記憶があります。ただ、舞台みたいなものがあって、そこでやっているってことが----そのあと寄席も行ったし、落語とか漫才とか----、いろんなものがあって、お客の前で演じるものがあるってことは小学校の頃から知っていました。だから、その次、中学校になったら、今度は叔父が芝居好きだつたんですね。それで新劇を見る会に入って毎月新劇を見て、これがその前知っていたものとまるで違うわけで----、びっくりしちゃってすごいなと思ったんですね。まぁ、小説みたいなものを、本を読んでいたので、それがこう立体化する感じだつたんですよ。テレビないですからね。」
中「つながる訳ですね」
石「だから3Dの世界みたいに感じた訳ですよ。バーチャルリアリティーなんだったんですよ。」
中「すごい感動ですね」
子供心に芝居に魅了されていた石坂さん、本格的に芝居の道に足を踏み入れたのはいつだったのでしょうか。
石「あのー、芝居をやってみようと思い出したのはのは、中学の頃なんですよね。中学の慶応の普通部というので、普通部は男しかいないので----、それで演劇部みたいなものを作ろうと作ったんですけどね----、誰も女形やるのがいなくて、気持ち悪くて嫌だと言われて、それでついにやめたんですけど----、高校学校手伝いに行っていたんです。だから、中学の頃から高校学校の演劇部に入っていたみたいなんですけど、それで高校へ行ったらすぐ入って----、もう1年の夏休みの頃には公演やってました。」
水「でも、聞いたことなかったもんで、とにかく近寄れない方だつたんで、どういうふうにしてここにいらっしゃるのかと----、一回聞きたかったんですけど、ドラマ始まってからは聞く時間がなかったもんで、今日は本当に楽しみで聞いてみたいと思います。今日はよかった、あなたのすべてがわかる。」
偉大な恩人 石井ふく子さん。
石「とにかく、台詞のある役をテレビでやったのは、石井さんのおかげなんですけど、通行人をやることになって、その頃テレビのエキストラをやってたんですね。で、そのエキストラの舞台が一幕の終わりになんかの通行人というので出たら、扮装変えて最後のシーンまで出るとこないんで----、ずうと暇だてたので、そしたら大空真弓さんがおでになつてて、さらわれるお嬢さんだっんで、さらわれてしばらく出番がなかったので、助かるまで。それで結構いろんな人と話して、ブラモデルの話がたまたまでて、それでプラモデル作っているって話していると、じゃあ暇だから持っていつて作っていたら、うちの楽屋で作ってくれと言われ、その楽屋行って作っていたんです。で----その頃、「愛と死を見つめて」という泣いて泣いてしょうがないようなドラマがあって、その主役を大空さんがおやりになって、石井さんはその当時は東芝日曜劇場の大ブロジューサーだつたですね。で----、やっばりうちのスターさんが出てるんだつてことを毎日いって見える、楽屋に----、で毎日延々楽屋に見えると、私がプラモデルを作っているんです----(笑) 石井さんも、なんじやこれ変なゴミみたいなやつと思ったんじゃないですか。それで話をしたら、あんたあのーちゃんとした台詞のある役、やってみたくないのというから、ええ、もちろんやってみたいですよ、テレビのこういう役あるからちょっとやってみる、じゃあ今度なんかあったら電話するからねといってくださって、でも、世の中ってそういう話って結構あるじゃないですか、なかなか実現しないじゃないですか。だからね、1月ぐらいたって連絡ないから、ああ、それはまぁ、俺は俺で頑張らなきゃなと思っていた1月目ぐらいに石井さんからお電話があって、ちょっとTBSにおいでというので、いったんです。そしたらあのー、紹介したい人がいる。ディレクターなんか見えて「7人の刑事」に、見てます、あれ出る気ないか、是非やらせてください、でやって----」
水「その時はお名前は今のお名前ではないわけですね。」
石「だからそのー、武藤兵吉、はいはい、そうです」
でそれが放送されて、あとちょっと何本か出た時に「潮騒」を映画会社でといわれて、それで潮騒で石井さんがタイトルにねぇ出演者のとこに武藤兵吉ってまずいよね----、陸軍の兵隊が出ているみたいだねとおしゃるのですよ、(笑) まあ、仕方ないんです私の名前か陸軍の兵隊でもね」
水「だから名付け親は石井ふく子先生でよろしいんですか。」
石「それで私考えたんですよ。」
水「はい。」
石「おまかせします、といって石のつく名前にするからと----、それから1週間、それぐらいですよね、また電話がかかってきて呼ばれて赤坂いって、でこれになったと----、あと五つあったんだよと、これが大空真弓さんのお父さんが姓名判断をなさっていて、それを預けたんですって、そしたら夢の中でこの名前だけがビーンと金色に光って立ち上がったんですよ。だから、あんた名前がいいんだからね、あとはあんただからね(笑)
水「先生はすごいですね」
石「これは脅迫でしょ。」(笑)
中「鼓舞してるんですね」
石「だって、金色ですよ。金色で立ち上がってきたといわれて、ええって感じじゃないですか」
水「そうですね、見込みというか、先生に絶対と思われたからねそうなったことで」
中「そして、その通りになったんですからね。」
水「力ですよ」
石「それでも、石井先生は私のことを石坂とは呼ばないですよ。」
中「なんて呼ばれるんですか?」
石「兵ちゃんと、つけといたくせに。
水「最初、兵ちゃんって誰?と思いましたからね。」
中「水前寺さんは兵ちゃんとは呼ばなかったんですか?」
水「いや、私は白馬に乗った王子様ですよ。」(笑)
まだまだ話は続きます。あとはその2で----。
by milionpara39
| 2021-07-06 21:13
| ドラマありがとう
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